高校野球シーズンが始めりましたね。
注目選手もたくさんいるかと思いますが、その中でドラフトの注目選手である智辯和歌山の黒川史陽選手の経歴について調べてみました。
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黒川史陽選手の経歴〜パーソナルデータ
出身中学 | 奈良県 河合町河合第一中 |
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リトルリーグ時代 | 泉州阪堺ボーイズ |
身長と体重 | 180センチ 80キロ |
右左 | 右投げ左打ちここに説明文を入力してください。 |
その他 | 主将 |
黒川史陽選手の経歴〜ご家族は野球一家
黒川史陽出身は奈良県河合町の出身です。
黒川選手のお父様は、上宮高校(大阪)で93年春の選抜優勝時に主将だった洋行さんです。
「打順は1番バッター、守備は二塁手」であったお父様は、選抜大会では延長10回にサヨナラ打を放つ活躍をされました。
兄弟は3人おり黒川選手は2番目です。
お兄さんである大雅さんは、日南学園(宮崎)に進学され、2016年春夏に甲子園に出場している。
また、弟・怜遠(れおん)は春から石川県のあの星稜高校に進学予定とのこと。
まさに、野球一家ですね。
黒川史陽選手の経歴〜リトルリーグ時代〜ニックネームは?
黒川選手は、小学校1年時から軟式野球を始め、中学時代は泉州阪堺ボーイズで硬式野球を始めました。
当時の黒川選手のニックネームは「河合町代表」と呼ばれていたそうですよ。
中学3年生の夏には、JUNIOR ALL JAPAN(NOMOジャパン)でアメリカ遠征をを経験。あのNOMO JAPANの代表です!!
その遠征チームでは、東邦の石川昂弥、創志学園の西純矢らとチームメートでした。
また、中学3年生の時に、ボーイズの全国大会に出場して3回戦まで進んでいます。
智弁和歌山に所属する現在でも、練習量はチーム1と言われているようですが、リトルリーグ時代からも練習量は多かったという声も聞こえてきてきます。
野球エリート街道を走っている黒川選手ですが、このまま努力を続けていってぜひすばらしい野球選手になってもらいたいものですね。
ネットの声
#智弁和歌山 黒川史陽主将。ニックネームは「河合町代表」。中学時代は「NOMO JAPAN」でも主将、東邦・石川昂弥、創志学園・西純矢らとチームメート。高校通算15本塁打。
スポーツ報知によれば、弟・怜遠(れおん)は春から石川「星稜」に進学予定。https://t.co/3OvmFda2eK
— 汗と涙。センバツ高校野球 (@gari_wasabi) 2019年2月13日
和歌山県・智辯和歌山
黒川史陽君(一年)は河合フレンズ〜泉州阪堺ボーイズ。中学時代にNOMO JAPANメンバー入り。昨年甲子園に出場した日南学園・黒川君はお兄さん、ということぐらいは周知していたが、この記事をみてさらにビックリ!😳https://t.co/hVTzpbKwbz
— ミラクル白橿 (@YukioXingfu) 2017年8月1日